「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」感想

感想文お約束の注意書き

以下、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のシナリオ、物語そのものには結果としてほとんど触れていませんが「エヴァンゲリオンシリーズそのもの」について語ることで内容を推測可能な表現をしているところが多々あります。ネタバレになる可能性が高いと思われますので、これから見る方とはここでお別れです。ネタバレ上等、あるいはもう見たよという方のみ読み進めてください。

本編前の穴埋め的余談

東京は現在もコロナ禍かつ緊急事態宣言下であり、映画館そのものの感染リスクは低いにしても、できるだけ混雑は避けようと思い、本日平日金曜日の朝7時15分の回を取ったのですが、蓋を開けてみれば99%の座席が埋まっていました。映画館の開場自体朝7時からだったので、開場前に自然と行列が形成され、結果的に平日早朝にもかかわらず旧劇場版公開当時のような独特の空気になっていました。

エンタメ化したエヴァエヴァなのか?

まず、前提として「エンタメ」の定義は人それぞれあると思いますが「万人に受け入れられる大衆娯楽」的な意味合いと自分は解釈しています。
……そのうえで。
エヴァンゲリオン新劇場版の制作が発表された当時、庵野氏本人の発言だったかは忘れてしまいましたが、制作サイドから「新しいエヴァは新しいエンタメ作品を目指します」というような趣旨の発言があり、「新しいエヴァが見られる」という期待感と共に、自分は正直不安を感じてもいたのです。
「エンタメ化したエヴァができたとして、それって本当にエヴァなのだろうか?」
やがて「序」が公開され、「破」が公開され、シナリオ自体はほぼテレビ版の再構成ではあり、随所に「エヴァらしい不穏な空気」はあるものの、きちんと「エンタメとして凝縮されたエヴァ」を見て、それなりに満足はしたものの、やはり自分の心のモヤモヤは晴れることはありませんでした。地上波(金曜ロードショー)で新エヴァが放送された時の予告ナレーション「少年少女たちの成長物語」にも、ただただ違和感しかなかったのです(Qですら同じ紹介文なので「こう言うしかない」のかもしれませんが)。

序破急+?」→「ヱヴァ序破Q+エヴァ新劇場版」

破のラストの次回予告で、元々「急」として発表されていたものが「Q」に変更されているのを見た時、自分はこの「Q」を「庵野氏からファンへの問いかけ=question」だと考えました。
「序、破のようなエンタメに特化したエヴァエヴァらしいと言えるのか?」
「みんなが望むエヴァらしさってなんだ?」
「みんなが求めるエヴァは、旧エヴァなのか?新エヴァなのか?」
その「問いかけ」の結果が「Q」の本編に繋がっているのではないか、という予想は、結果としてはスジが通っているように思います(正解かどうかは本人の本音を聞かないとわかりません)。

問いかけの結果

そんな「問いかけのQ」を経て制作された(と自分は考える)完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は、「序」や「破」と比較すると結果として明らかにエンタメ性が失われているのにもかかわらず、その代わりに詰め込まれた「エヴァらしさ」は、「エヴァらしくはありつつもただただ不親切なだけの印象だったQ」と比較しても、過剰なほどにエヴァらしく「サービスサービスぅ!」された作品になっていたと感じました。
これが「庵野総監督の考える理想のエヴァらしさの結果」なのか「庵野氏の理想とは関係なく、想定したファンに向けたファンサービスの結果」なのかはわかりませんが……。

エヴァの呪い

エヴァの呪いに自分を含めた多くのヲタクが罹っていろいろなものをこじらせてから20数年、自分は完結編を見て、ついに呪いが解けた実感があります。まだ一部しか読めていませんが、実際、感想でその感覚を吐露している人も多く、大半の人の呪いを解くにはじゅうぶんな熱量の作品だったと思います。「これで呪いが解けない旧エヴァファンは知らん」みたいな姿勢が旧劇場版と同様に今の庵野氏にあるのかどうかはわかりませんが、まあ、そうだよね、とも思います。そもそも新劇場版の完結編に至るまで呪いが解けなかった時点で既に相当こじらせているので。
懸念があるとすれば、数としてはそんなにはいないんじゃないかとは思っているのですが、特に新しい世代の人で「新劇場版からエヴァに入り、旧エヴァ、旧劇場版を知らないままQと完結編を見てしまった人」は新たに呪いに罹ってしまったのではないか、という点くらいです。あまり見る機会がないのですが、旧エヴァを知らない人や世代が新エヴァを見た感想をもっと読みたい。
(とりあえず一旦ここまで、気が向いたら追記するかもしれません)